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オチばかりを求めるこの世界で

なんでもかんでもオチばっかりを気にしすぎて、息苦しいと感じたことはありませんか?

そして生き苦しくないですか?

 

大阪に住んでいると、オチの無い話はとてもしにくいと感じます。難しいのは、自分でもけっこうイケてるオチだと思っていたのに、周りの反応が予想と違うときです。時々、話している途中なのに

「うわっ思った以上にオチが盛り上がらなさそう…」

とピンと来てしまうこともあります。そんな時は、声のボリュームをMAXまで上げて、いかにもヒュー、ブラボーという雰囲気だけでも作りだそうとするのですが、たいてい上手くいきません。むしろ、

「うわあ一人で盛り上がってる…」

と変な空気になります。

特に、身の回りに面白い話ができる知人がいる場合は致命的です。さらに彼らの話のバトンを受けた時は拷問です。

 

「いや僕もさあ…」

「わかるわかる、こないだ僕も…」

 

なんて出だしで喋りだしたはいいのですが、その勢いの弱まること気抜風船の如くなのです。

なのでここ最近は、会話の輪に加わること自体が怖くて、とにかくヘラヘラと笑っていました。

 

オチを求められる過酷な世界から抜け出せたはいいのですが、一方で、自分も笑いを提供できない罪悪感や、他者への嫉妬と矮小な自分への自虐的な気持ちに苛まれる日々が始まりました。

 

しかしですね。

 

良いこともありました。それは、僕にたくさん話しかけてくれるようになったことです。いつの間にか聞き上手になっていた、ということでしょうか。話を聞くと

「ねこさんは、よく笑ってくれる」

とか

「なんでも拾ってくれる」

と言われることが増えました。たしかに話を聞いて笑うことは、ただただ笑っていればいいわけじゃありませんでした。話をよく聞いて、効果的な相槌を打ち、合いの手を入れながら話を膨らませ、雰囲気を高めてから放たれるオチにしっかり着実に丁寧に自然に抑制を効かして絶妙なタイミングに笑うことが必要です。挿入される小さなボケもしっかり拾い、丁寧にツッコミ、そして自然に笑う。これだけで、僕たちは生き延びることができるはずです。

 

このオチばかりを求める笑いの戦国時代にあって、その合戦に敗れた僕たちはそう、オチ武者なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうですこれがオチです。

 

大阪という地で、オチばかりを求められ、その度敗北してきた人間にとって、なによりも恐ろしいのは、スベることではなく、スベることが怖くなくなったことです。

こうなっては、頭頂部を禿げさせて、両サイドの髪を伸ばしてリアルなオチ武者に扮しても、笑われることはありません。

むしろ笑われないことの方を求めるようになってきます。どうスベろうか、スベってやろうか、誰かスベらしてくれないか、突然一発ギャグしてやろうか、奇声発してみようか、スベりたい、あゝスベスベ。

皆さんもスベばかりを求める世界の住人になることがありませんように。